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逆川(さかさがわ)は、江戸川流頭の旧称である。流路長は約2km。 == 歴史 == 承応3年(1654年)、常陸川は、赤堀川の増削工事により、利根川の水の一部がその流頭部へ常時通水され、渇水期でも安定した水運を可能とする流量となった。 寛文5年(1665年)には、常陸川(および赤堀川)と、江戸川(および権現堂川)とをつなぐ逆川が開削された〔この逆川の開削もしくは増削により権現堂川(南方)と常陸川(北方)との水の一部が、分水嶺を越える水路をほぼ安定して満たすことになった。さらに文政5年(1822年)頃には逆川の南端部でもある江戸川入口の関宿・西関宿の両岸から棒出しを設けてこの水路のさらなる水位の確保等を行った。〕。或いは赤堀川開削以前から、この関宿・江川付近の低い分水嶺は水運の要所であり、それを越える水路も存在していたと見る説もあり、これは開削ではなく増削とも見なされる。 いずれにしろ、これにより銚子から常陸川を遡り、赤堀川・権現堂川を経由することなしに、関宿から江戸川を下り新川・小名木川を通って江戸に至る水運の大動脈が完成した。この水路は、利根運河や鉄道網が整備される明治前半まで流通の幹線として機能した。 昭和3年(1928年)に権現堂川が廃され逆川自身が江戸川の最上流部となった。 現在の幸手放水路付近から関宿城付近にかけての流路もしくは旧流路が、概ね埼玉県幸手市、千葉県野田市(東側)と茨城県猿島郡五霞町(西側)との県境を成している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「逆川 (幸手市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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